団体理念

ミッション

  • 良い生のために、良い「死の在り方」を考える文化の創生
  • 核家族化によっておざなりになってしまった死生観を、現代社会に合う形にアップデートすること
良い「死の在り方」とは

死は、誰にでも必ず訪れます。
それを避けることは出来ません。
人は誰もが、一生のうちに数回大切な人を見送り、最期は自分が見送られて旅立ちます。
大切な人との死別は、価値観や考え方を変えてしまうほど大きな出来事です。
にも関わらず、死を語ることはタブーとされ、何も準備されないまま送り、送られていく人が大多数です。

受験、就職、転職、結婚など、人生を変えるほど大きなライフイベントは、どれも万全の準備をしようとするものです。
準備した上で望んだ結果が得られなくても後悔は少ないですが、準備不足で臨むと願った結果が得られないばかりか、後々まで後悔や落ち込みが残りやすい。

それは、死も同じです。
しかも、他のライフイベントと違い「選ばない」という選択が出来ません。

どんな死を迎えたいか。
どんなお見送りがしたいのか。
逝く人と送る人、双方で一番良い形をすり合わせ、準備しておくことで、死の印象は大きく変わります。

死別の哀しみは大きく、遺された人を打ちのめします。
ですが、もし死の在り方をきちんとデザインできていれば、その哀しみはやがて人生の豊かさに変えられます。

死をタブー視して、蓋をしてしまうのではなく、ポジティブなものとして向き合うこと。
その上で、良い死の在り方をそれぞれが考えること。
それは生きるための原動力となり、豊かな社会の創生の礎になります。

【デスポジー良く生きるためのデス・ポジティブプロジェクト】は、それぞれの「良い死の在り方」を考える文化の創生を目的としています。

死生観のアップデートとは

かつて日本は村や大家族で暮らしており、葬送儀礼もそのコミュニティ内で行われる継承儀式の一つとして機能していました。
コミュニティ内で誰かが亡くなることは、その役割を誰かが引き継ぐことであり、葬儀はそのための「はじまりの儀式」という側面もありました。
冠婚葬祭を始めとした各種の儀礼は、コミュニティを安定させ、存続させる装置でもあったのです。

ところが、近年日本では急速に核家族化が進み、継承儀式としての葬儀の役割がわかりづらくなってしまいました。
家族や親類をかろうじて繋ぎ止めていた冠婚葬祭も、結婚式が簡素化し、未婚化により行われないことも増えました。
葬儀だけは強制力を伴っていたものの、2020年の新型コロナの流行により一気に小規模化が進み、この流れは不可逆的になるでしょう。

家族の在り方が変わりつつある今、昔ながらの葬儀の形が必ずしも良いものとは言えません。
ですが、ただ面倒だからという理由で簡素化してしまうことで、思わぬ弊害も生まれています。
それは、簡素な葬儀で送ってしまったことで、故人をとりまく人の繋がりが途絶えてしまうということです。
このまま簡素な葬儀が進むと、人の繋がりはその人の「死」によって分断され、バラバラになってしまいます。

人は、たとえ家族がいなくても、人の繋がり無しで生きることは難しく、とてもつらいことです。
家族の継承が難しいのであれば、現代社会に合った死生観を築き、継承の形をアップデートしていくことが豊かさの条件になるのではないでしょうか?

旅立つ人は、誰と、どんな繋がりがあったのか。
それを遺された人同士で確認しあうことで、現代に合った繋がりを新たに生み出すことも出来るはずです。

【デスポジー良く生きるためのデス・ポジティブプロジェクト】は、それぞれに合った人の繋がりを継承できる死生観の育むことを目的としています。

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