代表挨拶

私が「死」について初めて意識したのは、中学一年生の時でした。

ひと回り以上歳の離れた兄は生まれたときから体が弱く、私が物心ついた時には既に学校には行けず、自宅療養していました。
長生きは出来ないだろうことは、両親はわかっていたのかもしれません。
でも、まだ子供の私には、まさか家族が死んでしまうなんて想像もつきませんでした。

中学一年生の冬、週末で友達と出かけていた私が帰宅すると、兄は倒れて病院に運ばれた後でした。
数日ICUに入り、そのまま旅立ちました。
バタバタと自宅葬が行われ、家には町会の人が入れ替わり立ち代わりやってきました。
棺へ花入れして蓋を閉めた後、釘打ちの音がコチラとアチラを隔てるようで、とても悲しかったのをよく覚えています。(最近では釘打ちは省かれることも多いようです)

兄のいない世界は、しかしながらいつも通りでした。
中1はまだ子供ですから、同級生もどう振る舞ったら良いか分かるわけがありません。
いつも通り笑ったり、くだらない話をする同級生に怒りを覚えたりもしました。
哀しみが誰にもわかってもらえないことで、さらに哀しくなりました。
しかし、私の哀しみはやがて、親を心配する気持ちに変わりました。
そうしなければ、耐えられなかったのかもしれません。
そんな死別体験も、いつしかおぼろげになっていきました。

そして2018年の冬、父が亡くなりました。
数年の介護を経て、施設で転倒したのをキッカケにみるみる衰え、最期は病院で息を引き取りました。
生きてきて、間違いなく一番哀しかった。
でも、父の死は私達家族にとってまだ運が良かったのでは?と思うようになりました。

何が良かったのか?
まず、両親が終末期医療についての意志表示をメモに残していたこと。
おかげで本人が望まない延命治療はせず、そっと旅立たせてあげられました。
そして、知人に良い葬儀屋さんがいたこと。
見積もりを取り寄せている間に父は旅立ってしまいましたが、本人が望むささやかで温かい葬儀で見送ることが出来ました。
さらに、菩提寺があり、兄が眠る墓が既にあったこと。
よく知るお坊さんが遺族を慰めるお話もして下さったおかげで、自然に惜別の涙を流すことが出来ました。

終末期をどうしたいのかという本人の意志がわかっていたことと、納得できる葬儀が出来たこと。
これが揃っていたことで、私の哀しみは比較的早く癒えたような気がします。
もちろん父に会えないことは哀しいのですが、何も手につかなくなるような落ち込みや後悔は、今はもうありません。

父を亡くしてから、同じように親しい人を亡くした人の体験談を意識して見聞きするようになりました。
すると、終末期の延命措置で後悔したり、葬儀に不満が残って哀しみが癒えないというケースが少なくないことを知りました。

死は、必ず訪れます。
身近な誰かをいつか必ず見送り、やがて自分も見送られることは避けられません。
それは人生において最重要な出来事になることも間違いない。
にも関わらず、死はまだまだタブー視されがちで、考えたり話題にしたりすることすら避けられる傾向があります。

果たして、それでいいのでしょうか?

死を考えるということは、どう生きたいか考えることと同じです。
死をポジティブに考え、話題にし、一緒により良い死を考えられる文化を作ることは、より豊かに生きる人を増やしていく上で欠かせないことだと思うのです。

デスポジーデス・ポジティブという考え方。
多くの人にこの考え方が広まり、豊かな人生をみんなが送れる社会に近づけるよう、日々尽力していく所存です。

代表 山内三咲

山内三咲(やまうち みさき)プロフィール


パーソナルスタイリスト/Points of Youエクスプローラー/婚活アドバイザー/LINEトークCAREカウンセラー。
1977年、東京生まれ。
新卒でアパレル業界に就職し、国内外ブランドからラグジュアリーブランドまで15年の販売経験を持つ。
仕事と平行して歌手活動を開始、ボサノヴァシンガーとしてアルバムをリリース。
さらにタップ・ジャズダンスをレッスンを受け、10回以上の舞台を経験。

気持ちの浮き沈みを心理学等の独学で克服した経験を活かし、生きづらさや自己肯定感の低さに悩む人のための「自己受容獲得メソッド」を確立。
更にイスラエル発のコーチングPoints of You®エクスプローラー(国際資格)取得後は、写真カードを使ったコーチングも組み合わせて、より精度の高いセッションを開催。

現在はファッション買い物同行、自己肯定感アップカウンセリング、1対1でのコーチングセッションも受付中。
心・身体・外面それぞれから「自己受容」を促すセッションを数多く行っています。
また、結婚相談所関係の仕事の経験から、婚活アドバイザーとしても活動中。

父親の死を機にデスカフェに出会い、すぐに自主企画で開催。
思いの外、反響が大きかったことから「デスポジ」の普及のために当団体を設立。


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